映画『アルプススタンドのはしの方』備忘録 ※ネタバレあり
わたしは野球には全然明るくない。
ルールなんてボールを投げたりバットで打ったりすることぐらいしかわからない、無知中の無知だ。
そんなわたしが観た、映画『アルプススタンドのはしの方』。
以下、HPより引用したあらすじである。
「しょうがない。」から始まる、演劇部、元野球部、帰宅部の空振りな青春。
5回表から9回裏まで観客席の端っこが世界で一番熱い場所になって行く──。
高校野球・夏の甲子園一回戦。夢の舞台でスポットライトを浴びている選手たちを観客席の端っこで見つめる冴えない4人。最初から「しょうがない」と勝負を諦めていた演劇部の安田と田宮、ベンチウォーマーの矢野を馬鹿にする元野球部の藤野、エースの園田に密かな想いを寄せる宮下の4人だったが、それぞれの想いが交錯し、先の読めない試合展開と共にいつしか熱を帯びていく……。
劇中に野球のシーンはまったくない。あるとすれば元野球部の藤野くんが矢野くんのバッティングの真似をするシーンぐらいだった気がする。
細かいルールをわかっている人はその藤野くんと、応援にアツい厚木先生、あとは吹奏楽部の久住さんぐらいじゃないか。あれ?久住さんってわかってんのかな。わかんない…。
わたし自身、野球のルールを知らずに観ていても物語についてはいけたが、知っている人は登場人物たちの見ている風景がどんなもので、グラウンドで何が起こっているのかも想像できたんだろうから羨ましい。より鮮やかに映画を楽しめたんだろうな。
そもそもわたしがこの映画を観ようと思った理由はあまりにも単純で、それでいて他人にはわかってもらいにくい事情がある。ここでは言わないでおくが。
昨年浅草九劇で上演された舞台版は観たことがなかったが、なんとなくあらすじやキャラクターは知っていた。し、劇中できちんと言ってくれたので難なく世界に入れた。
アルプススタンドのど真ん中ではなく、”はしの方”で進む物語。
ストーリーが展開するにつれ、この物語が生まれ、進むのはそこでしかあり得ない、秀逸な場所だなと納得した。
それぞれがそれぞれの想いで座るはしの席で、細やかに揺れ、動く心情、その温度。時々挟まれるコミカルなやり取りの軽快さ。
個人的には厚木先生の「お〜〜い宮下…」、藤野安田の「進研ゼミじゃん」のハモリ、田宮の「高いよ?これ(アクエリアス)…。黒豆茶以外200円はするんだよ?もらっといたほうがいいよ?」が好きだった。
応援するでもなく、ただはしの方に座って試合を眺めている高校3年生の多感な少年少女。彼らは気丈に振る舞ってはいるが、実はそれぞれが内に秘めているものがあった。
どうにかしたくてもどうにもできなかったことへの絶望感、やるせなさ、消失感。
仲間の努力を「どうしようもないこと」でダメにしてしまったことへの後悔、責任感。
圧倒的なものを前にした諦め、敗北感、そしてそれと比較した己の惨めさ。
周囲に上手く溶け込めない孤独、焦燥感。
誰もがきっと一度は持ったことがある言葉にするには複雑な青い感情を、スタンド席の端にいるひとりひとりが持っていた。
あそこに座っていたのは、きっとわたしたちだ。
前の方にも真ん中にも座れず、でも「何か」の衝動は持っている。だから「はしの方」を選んで、そこで主役たちを眺める。特別輝けはしないけど、確かに「何か」を持って存在している。
彼らが抱え込んだいわゆる「闇」が、他者と交わり、「甲子園にきた我が校の野球部を応援する」という共通の目的のなかで道を見つけ、希望に、「光」に変わっていく。
「輝けない私たちのちょっとだけ輝かしい特等席」は、未来に繋がるための入り口だったのだ。
高校生らしい本当に意味も内容もないやり取りの数々や、言葉の交流で生まれる相手への気持ちの変化。
「アルプススタンドのはしの方」という特別ではない特等席で流れる少年少女、ときどき先生の青春。
この映画は、絹のようにさらさらしていて、些細な言葉のささくれに繊維がいちいち引っかかってしまう、繊細な布みたいな素敵な世界観だった。
ぜひ舞台版も観たいものであった。