好きになってしまっていたものの話
今年―2018年の1月、私は『ドリフェス!』というものに出逢った。
きっかけはなんでもなかった。
ただめちゃくちゃに暇で、地方からさらに地方のゲームセンターの中をうろついているときに、なぜかドリフェス!の筐体に目を引かれたというだけだった。
別に男性アイドルのゲームに興味があったわけではない。むしろその逆だった。
心のどこかで女性向けの男性アイドルコンテンツを敬遠している節があったぐらいだった。
私の認知していたアイドルゲームのキャラクターは、否が応でも表示される広告のおかげでそれなりにいた。
確かに魅力はあった。
不思議なキャラクターや明るいキャラクター、元気なキャラクター。そのどれもがきらきら輝き、画面上で笑みをたたえていた。確かに顔も声もいい。
でも、ただそれだけだった。
どれも、かっこいい、で止まっただけだった。脳はそこで情報を欲するのをやめた。
友人がアイドルゲームを勧めてくれたときも、「かっこいいね」で終わっていた。
今思えば、次から次へとリリースされる女性向けアイドルゲームに辟易していたのかもしれない。
どのアイドルジャンルのオタクの語りを見てもキャラクター個人にフィーチャリングした話が多く、ストーリーの展開が話題に持ち上がるときはいつも解釈が腐寄りのものが多かったように感じる(以上はあくまで私のタイムライン上の経験であるため、そうでない場合があることはもちろん承知している)。
こういうのが好きなんだろ、とでも言いたげな過剰に解釈を増大させてしまうメンバー間でのやりとりが、言い方は悪いが本当に嫌いだった。
告白すると、私は腐女子ではあるが、公式がこちら側に寄せてくるのは嫌と感じる厄介なオタクである。
これは私の好みとわがままの話になってしまうが、私はストーリーを重視するオタクだ。
キャラクターたちのことはもちろん好きだが、それらはストーリーがあってより一層輝くものだと思っている。
キャラクター個人だけではなく、他のメンバーと共鳴して生まれるストーリーが好きだった。
そしてそれは、できれば私を安心させるものであってほしかった。
腐界隈が一気に盛り上がるような、解釈がほぼ画一化されてしまうようなものは望んでいなかった。
だが、聞く話はおおよそが望んでいない内容のものばかりで、なんというか飽和していた。
だから、嫌だった。
そして何より、存在しないアイドルを応援することに、どうしてもやりきれない思いを抱えていた。
そうだ。存在しないのだ。
もちろん当たり前にビジュアルはあるし、声を当てている人間だって当たり前にいる。でも、どうしたってその名前を冠したアイドルは、逆立ちしても現実にはいない。
それを、どうしても虚しく感じていた。
とどのつまり、アイドルコンテンツに興味が湧いたことなんて、人生の中で1度たりともなかったのだ。
そんな私が、出逢ってしまったのだ。
『ドリフェス!』。
アニメのストーリーを端的に紹介しておく。
「"応援(エール)"はドリカが示すもの!」
アルバイト中に突然レジェンドアイドルにスカウトされた高校生が、同じ事務所のアイドルたちのアツい想いを目の当たりにし、自らも負けじとアイドル活動にのめり込んでいく。その中で出逢った4人のアイドルの卵と5人ユニット、「DearDream」を組み、CDデビューを懸けた事務所主催のアイドルの祭典、「ドリフェス」での優勝を目指していく第1期。
「絆で目指せReal(本当の)アイドル!」
DearDreamの5人は「ドリフェス」での優勝後、レジェンドアイドルから「アイドルとしてデビューできたからといって、アイドルになれるわけではない」と告げられる。
その言葉をきっかけに、"本当のアイドルとは何か?"を真摯に模索していく5人と、時を同じくして異例のCDデビューを果たしたDearDreamのライバルユニット、「KUROFUNE」の2人がアイドルとしての新たな道を掴もうとしていく姿が描かれる第2期。
もう少しだけ説明すると、このコンテンツの世界には「ドリカシステム」という聞き慣れないシステムが存在している。
始めに、この世界に不可欠な「ドリカ」の説明をしておく。
ドリカとは、ファンがアイドルへ送ることができる衣装付きのカードである。これを送られると、アイドルはステージ上で初めて衣装チェンジが可能となる。
そう、ファンがアイドルの衣装を決めるのだ。
逆に言えば、ドリカがないとアイドルはステージ衣装を着ることができないということだ。
「"応援(エール)"はドリカが示すもの!」と上記にあるが、これがこの世界のポイントである。
ドリフェス!の世界では、アイドルを応援していることを示す唯一のアイテムがこの「ドリカ」なのだ。
応援されないと、アイドルとしての輝きをステージ上で充分に放てない。
"唯一"と先述したのもそのためである。
「ドリカシステム」とは、そのドリカをアイドルに向けて飛ばすためのシステムだ。
この通り、ドリフェス!というものは一瞬では追いつけないような約束を有している。
私もはじめは戸惑う部分が多かった。
アプリを始めてみれば衣装チェンジ後に空中からスピンしながら降りてくるし、かと思えばアピールタイムには謎の文言とともに不思議なモーションをしている。なんなら空へと飛び立っていた。
通常ならありえないことをさも当然のようにやってのけるのだ。
「ああ、奇を衒ってくるタイプか」。
はじめはそう思っていた。結構本気で。
ドリフェス!にも解釈が画一化されてしまうようなシーンがなかったわけではないが、なぜかそのときはそれが嫌ではなかった。このときは何となくそう思っただけだったが、このあとわたしはこの作品を確信して「アイドル作品」として好きになる。それに至った理由は後ほど記す。
ちなみにアプリのストーリーはどれも面白く、セリフのセンスが抜群によかった。
アボカドを丁寧に握り潰すって何だ。潰すな。
そういうわけで筐体だけでなくアプリも続けた。このときはまだキャストはおろかアニメにも触れていなかった。
そして、ドリフェス!に触れてから3ヶ月目になった3月5日。
帰りの電車に乗っているとき、まずアプリ終了の知らせを見た。その頃にはすっかりドリフェス!の世界に入り込み、溢れ出るセンスが止まらないアプリのストーリーに魅了されきっていた。まだまだ楽曲もキャラクターストーリーも解放が終わっていなかったため、先を急がないとな、などと悲しいながらものんきに考えていた。
次に、データカードダス終了の知らせを見た。私の最推しはデータカードダスのみにいたため、ショックのあまり持っていた傘を落とした。一緒に帰っていた友人に支えられないとすぐに崩れ落ちてしまいそうだった。言葉にできない思いでいっぱいだった。
なぜだ。なぜこんなに早く終わる。
好きになってからまだ3ヶ月だぞ。聞けばコンテンツ開始からまだ3年経ったか経っていないかなのだろう。どうして。
そんなとき、公式から特番の知らせがきた。
観るしかない。
キャストは声ぐらいしか知らなかったがどうにかなるだろうと思っていた。とにかく頭の整理をするための情報を欲していた。
番組開始。初めて動くキャストを観た。
映された7人は神妙な面持ちだった。本当に終わることをまざまざと感じさせられた。
3次元での活動も一旦休止、という事実がそこで初めて公になった。まだそのときはあまり響かなかったが、お前らも"一旦"とは仮称するが終わるのか、と衝撃を受けた。
笑っていても、始終どこかに暗い影を感じるような雰囲気で番組は進行していく。
その中で武道館ファイナルが発表された。
叫んだ。
武道館。
全アーティストの憧れとバンドマンの推しが言っていた、武道館。
すごいことじゃないか。
なぜ終わる、の思いが強くなった。
有終の美か。終わるためにそこを使うのか。
えも言われぬ感情のあまり暴れた。
今も言葉にできない。あの日の感情は、きっとしばらくは言葉にできるものではない。
とにかく、終わってしまう前に、できることをすべてしようと思った。
必死でアプリを進め、少しでも早く帰れた日にはゲームセンターに通った。
アプリは音ゲーで、操作性はかなり簡単だったのではと思う。色の識別能力とそれなりのリズム感があれば老若男女皆ができるといえるぐらいだ。
音ゲー初心者の私でもすぐに親しめた。
ますます「なぜ終わる」が強くなった。
課金もした。少しでもドリフェス!のなんらかが延命できるのなら、と。
5月1日。アプリは予告通り14時をもって終了した。
家の自室で、ひとり絶叫した記憶がある。
その日は学校を休み、アプリにつきっきりだった。終わるとわかっていても諦めきれなかった。休むのが悪いことだとわかっていても、そんなことはもうどうでもよかった。
悲しかった。
それ以上の言葉はいらない1日だった。
どういうきっかけか思い出せないが、それからキャストにも興味を持ち始めた。
SNSで調べてみるとそれぞれアカウントがあった。
なるほど本業は俳優か。
どうりでアプリの初期は…とそこで初めて納得した。どうして初期の話をしたのかは言わずともわかってほしいところだ(これがキャストに興味を持ってこなかった理由でもあるのだが)。
ほどなくして、彼らが3次元でも「DearDream」としてアイドルの活動していることを知った。
キャストに触れるのが遅かったため今まで"2次元のアイドル"DearDreamしか見てこなかったが、こちらでも同じ名前でアイドル活動していることを知ったときは新鮮だった。
そこで初めて5次元の存在、そしてその意味を認識した。
2次元のキャラクターたちの活動、それに加え3次元のキャストたちの活動。合わせて5次元。
単純に「素晴らしい」と思った。
新しい。聞いたことがない。
そうか、これなら。
「虚しくない」んだ。
実際にいるのだ。人物として。
もちろん2次元のキャラクター本人ではないが、そのキャラクターとして3次元でも生きている。
2次元のキャラクターは好きで止まってしまっていたが、これからは3次元を応援していける。
しかもキャストは2次元のキャラクターとは性格が違ったりするから、3次元ではまた別の推しができるかもしれない。グリコ状態だ。1コンテンツで2度推せる。
そこからは早かった。
キャストの情報を集められるだけ集め、買えるグッズは少しずつだが買った。
毎日SNSをチェックし、彼らの活動を陰ながら応援した。
学生でアルバイトも禁止されている学校だったから自由に使える金は少なかったが、舞台などで近場に来たら観に行った。
今なら胸を張って言える。
間違いなく楽しかった。
アイドルを応援できるのはこんなに楽しいのかと身をもって感じた。
今日はこんな仕事をして、こんな日で、という推したちのつぶやき。
メンバー同士のリプライ。
生きてる。推しアイドル、今日もめちゃくちゃに生きてるわ。
サイコー超えてる。ありがとう。
アニメ配信も各方面で始まって、円盤を買わずともアニメを観ることができるようになってしまった。
そこで改めて感じたのだが、やはりこの作品は「アイドル」というものに異様なほどのこだわりを持っている。あまりにもアイドルというものに真摯すぎていた。
昨今の女性向けアイドルゲームとしては珍しく、この作品の世界では我々オタクはあくまで「ファン」の1人として扱われ、アイドルたちと距離が近まることはない。
だが、その2組の間には絶対的に結ばれた絆がある。
我々ファンがアイドルを応援し、輝かせる。
アイドルはそのエールに応え、ファンに夢を与えてくれる。明日へと連れていってくれる。
なんということだ。こんなのただの希望じゃないか。
全話視聴した私はそう思った。
レジェンドアイドルがあっけらかんと言った、「アイドルはファンを悲しませない」という言葉。
私はきっとこの言葉がほしかったんだ。
メンバーがつらい目に遭うことなんて一切望んでいない。ただ、彼らに夢を見せてもらいたいだけだったのだ。
努力してる姿を見て応援したい、洗練されたパフォーマンスが見たい、メンバーの仲のよさが知りたい、など。
ドリフェス!はそのすべてを叶えてくれた。
ああ、出逢えた。心の底から感じた。
10月上旬。メンバーたちの武道館リハの話が多くなってきた。
そういえばもうそんな時期か。確実にファイナルが近づいているんだな。
楽しみで早く来てほしいのに、やはり来てほしくない。
はっきり言うが、背後に幽霊のような寂しさがつきまとう日々からようやく解放されるという思いがなかったと言ったら嘘になる。
でもきっと終わってしまったらもっと寂しくなるのだろう。
武道館ライブが終わったあと、自分は一体どうなってしまうのだろう。
名前のつけようがない感情と向き合う日々が続いた。
そして10月20日。
私は親の反対を押し切って武道館のチケットを20日分だけ取っていた。
フォロワーのフォロワーに代行していただいてグッズも買った(その節はありがとうございました。大変お世話になりました)。
現地に着いたときはふわふわした気分だった。もう少しファイナルに酩酊するかと思っていたが、実感が湧かなかった。セミファイナルだったからだろうか。
会場入りをして、ペンライトやらリングライトやらを準備していると17時になった。
現場初参加だった私は、初めて歌って踊るキャストを観た。
凄かった。圧倒された。
私はアイドルというものに全く無知だったが、きっとこれがアイドルなんだろう。アイドルってすごい。本当にすごいんだ。ひしひしと感じた。
私たちは彼らがステージに立つまでの過程を知らない。
テーブルに並べられた馳走を眺め、それらを身体に取り込むしかできないのだ。
それは寂しいことだが、同時に素晴らしいことでもある。理由はわからないがそう思った。
あのライブは、間違いなく究極の美食だった。
新曲を全部披露し、ドリフェス!を彩ってきた楽曲たちもサイコーのクオリティで魅せつけられた。
だがきっと、ファイナルのファイナルはサイコーを超えたものになったのだろう。
行けなかったことがどうしようもなく惜しい。
今だけは時間が不可逆なことを恨みたい。
終演後の14人のメンバーたちのつぶやきが、とてつもなく愛おしかった。
本当に終わってしまったんだ。
赤くなったメンバーの目がそれを感じさせた。
「明日へ」「夢へ」。
ドリフェス!関連のツイートにインフレのように溢れかえっている。
いいことだ。願ったり叶ったりじゃないか。
だが申し訳ないが、正直なところドリフェス!というものが終わってしまった今、私には明日も夢もクソもない。
いや、明日は当たり前にくるし夢だってある。
けれどそうじゃない。
私にはドリフェス!が明日であり夢だったので、それが一旦か永遠か知らないが終わった現在、それらを武道館に置いてきてしまったのだ。
約束を守れなくてごめんね。
でも、それぐらい私はこの1年足らずでドリフェス!というものに魅せられてしまっていたのだ。周りに何と言われようが、全力でドリフェス!を愛してしまっていたのだ。
どうしようもなく好きになっていたのだった。
短い間でこそあったが、嬉しくなるのも悲しくなるのも、いつもドリフェス!がそうさせていた。
何が未来だ。何が希望だ。お前らが私のそれだったんだ。私の人生変えといて勝手に終わるんじゃねえ。
みっともなく不条理への未練が溢れ出てくる。
私は行儀も物分りもよくないオタクのようだ。
長くなってしまったが、最後にひとつだけ言わせてほしい。
終わらないでいてほしかった。