主人公になれない
わたしは主人公になれない。
ドラマチックなあれこれを期待したところで、それらはすべて頭のなかで死んでいく。
午前3時にさして好きでもないスライムのASMRを聴いて、動画を撮り終わったあとのスライムの行方や、これに性的興奮を覚える人間が一定数いるんだろうか、などと思案しているのだから、当然といえば当然かもしれない。
主人公はスライムの未来になど興味はないし、そもそも午前3時は美容と健康のためとっくに寝ている時間だろう。
わたしは奇跡などというものが起こらないことを知っている。
面白味のない人生をさも面白そうに生きているだけの道化には何も起こらない。言葉はわたしを救わないし、音楽は耳元で流れるだけだ。
知らない誰かの何のひねりもないあたりまえの言葉が、大好きなあの人を救ってしまう。
わたしはあの人がそんな人だとは思っていなかった。あの人は、ずっとそのなかにある宇宙で、のんきにひとり揺蕩っているのだと思っていた。
誰かに簡単に救われてしまうような人だなんて、知りたくもなかった。
どこか「特別」であることを期待して人を見てしまうけれど、人というのは案外皮以外はみんな一緒で、やはり性悪説は正しかったのだと思う。性善説も性悪説も黒く汚れることが前提である。見知らぬ始まりが白かったとして、一体誰がそんなことを気にするのだろう。
悲しいことはずっと悲しい。
しあわせな夢を見るたびに、「このまま覚めなければいい」ではなく、贅沢に「見たくなかった」と思う。
夢なんて見たら、それ以外の世界がしあわせではなかったと気付いてしまうから、だめだ。夢で会うたびに、もうここでしか会えないのだと思い知らされてしまう。
今が平安時代だったらあの人がわたしのことを想っているから夢で会えるのだと思えるのに、今は平安時代ではない。2021年の令和時代である。わたしが未練たらしく、言葉にするには赤すぎる想いを抱えて浅い眠りに就いているから、夢を見るのだ。
恋は、血と燃え盛る炎と、ほんのちょっとのリコピンなどを含んでいる。だから赤くてはじける。肌の健康にもいい。ほとんどトマトみたいなものだ。だから酸っぱいし、愛の種があるんだぜ。みんな知らなかっただろ。
でもわたしはトマトが嫌いだ。なぜならみずみずしく、酸っぱいから。いいトマトに出逢えていないだけかもしれないけど、出逢っていないのなら ないのと一緒だ。
これはほとんど運命みたいなものだね。人が運命を信じない理由なんてそれだけだ。
自分の目で見て自分の心で感じたこと以外を信じるなんて滑稽すぎる、そうだろ?
わたしも無責任に「愛してる」が言える人間になりたい。
その奔放な言葉で誰かを縛りつけて、どこまで行ってもどこにも行けない糸で繋がっていたい。
一生消えない刻印のような愛で、「あなたの居場所はここです」と教え続けてあげたい。
たくさんの本当で塗り固められた世界で、わたしだけが本当の嘘つきでありたい。そして、積み重ねた嘘で、わたしたちの世界を守りたい。
思い出を玩具にして自分を慰めるのもよくないことだと、本当はわかっている。絶頂したあとに流れるのはいつも、涙と、ひとつの名前しかないエンドロールだ。
ぐったりと身体を横たえたところで、隣には誰もいないし、聞きたい声も聴こえない。
わたしの愛は、いつもあの人の形をしている。